お昼前。久しぶりに築地を歩いてみた。
まだ箸にも棒にもかからない習作時代、
月一回の電通の会議(TBS昼帯ドラマ)に出るために
よく築地本願寺近辺を歩いたものだ。
本願寺前で講談社の引地さんと待ち合わせ、
市場内のお寿司屋さんでちらし寿司を御馳走になった。
今日は、偉い方達に会うので、かなりキンチョーしていた。
誰に会うのかというと、
文藝春秋の元社長にして、文藝春秋や週刊文春の編集長を務められ、
あの『疑惑の銃弾』(ロス疑惑事件)を世に送り出した白石勝さんと、
フジテレビの報道局長、扶桑社の社長を経て
共同テレビの常任監査役をされている中村守さん。
一応、お花見ということだが
何を着ていったら良いのか、さっぱりわからない。
日程表を見ると共同テレビの中村さんのお部屋→浜離宮庭園→
水上バス→隅田公園→飯田屋(どじょう)→バーリー浅草(バー)となっている。
きっと歩くんだろうな……ということで、
さんざん試した挙げ句、
やっぱりジーパンに。これが一番!
共同テレビでは
中村さんのお部屋に通されて、あまりにナイスビューなので驚いた。
これはまるで高級ホテルのスィート!
眼下に拡がる浜離宮庭園は
桜のピンクよりも、菜の花の黄色が美しく感じる。
週刊文春の50周年記念号の白石さんの対談を読み、
家に有る文藝春秋やenTAXIを片っ端から読んで
ものすごーーくビビリながら来たのだが、
それは杞憂に終わった。
まず、
待ち合わせに現れた白石さんは、
仕立ての良いスーツに、布でできたエスニック風のかばんを
肩がけにしていらして、ちっとも飾るところのない方だった。
さらに、中村さんの話し方はどこか懐かしい響きがあって、
耳に心地よいなあ……と思っていたら、
滋賀県の長浜のご出身だと後で判った。
途中、プロデューサーの江森浩子さんも中村さんのお部屋に
いらして、皆で写真を撮った。
「それじゃ、行きましょうか」と
中村さんは、なんと手ぶらで社屋を出て行かれた……。
手ぶらで背を丸めた中村さんと、エスニックバッグの白石さん……。
偉い方達なのに、気取りがまったくない!
しかも足元は埃だらけになっているのに、一向に気にされる様子もなく……。
「う~ん、すんごいかっちょいい!」
思わず、心の中で叫んだ。
浜離宮の公園では、白石さんと栃木弁の話で盛り上がった。
白石さんは元々東京のお生まれなのだが、
五歳から栃木県に住まれているので
栃木県出身ということになっているのだとか。
必死で覚えた栃木弁は、大人になっても抜けなかったという。
前夫が栃木の人で、言葉のやりとりで苦労した話や、
なんだか妙に栃木の人と縁がある……という話をしているうちに
水上バスの時間に。
岸辺は満開の桜。
佃島の辺りの近代的なタワーマンションと、
昔からの風景が思った以上にマッチしていることに驚いた。
船が到着し、隅田公園の桜をちらりと見た後、
予定を変更して、吾妻橋の『ひら井』へ。
店主が包丁を片手にしてくれた墨堤の説明が、
リズミカルな江戸言葉だったのが印象的だった。
中村さんは細やかな配慮をして下さり、
緊張している私に次々と料理を勧めて下さった。
白石さんはどじょうをつつきつつ、芥川賞等、大きな賞を決める際の
審査員の方々の情熱的な論争の話をして下さった。
『疑惑の銃弾』の記事のお話をもう少し伺いたかったのだが、
それはまたお手紙でも出す事にしようと思った。
昔、
人文書院でお世話になっていた頃、
編集に携わった『松と日本人』(有岡利幸著)という本が
毎日出版文化賞を貰っているのだが、
内容について、白石さんと中村さんからご質問があったので
下手な説明をさせて頂いた。
私は当時27歳で、ただ夢中で、わからないところは逐一編集長に聞き、
作業をしていたに過ぎず、「著者の切り口が斬新だった」
ということに尽きるのだ。
もちろん、学歴のない私の意地もあった。
でも、やって良かったと思える仕事だ。
「ひら井」を出て、バーリー浅草がお休みだったので
神谷バーで飲んでいるうちに、白石さんが三橋美智也さんがお好きだという
ことが判明し、中村さんも歌にかなりお詳しいことが判った。
……ということで、
三軒くらい先のカラオケボックスへ流れ、一時間たっぷりと
熱い熱い皆さんの歌を堪能し、私も『支那の夜』と『怨み節』を歌った。
本気で歌うことの楽しさたるや!
しかし、
こんな楽しい展開になるとは思ってもみなかった!!!
あのキンチョーが嘘のような楽しい一日だった……。