心の中で「ああたん」と呼んでいる人がいる。
それは前に住んでいた部屋の大家さんのミツさん。(80代)
事情があってなにもかも手放して、新しい暮らしを始めざるを得なかったあの時から「ああたん」との暮らしは始まった……。9年くらい前のことになる。。。。
最初は、「嫌らしい皮肉ばかり言う人……」と思った。
救いようのないニヒリスト。皮肉と嫌味を連発して、人を信じようとしない。
おまけにちょっとでも反論すると
「わたくし、あなたのおっしゃっていることがわかりませんわ」
とピシャッとヤラれ、面食らうこと、面食らうこと。。。
それでなくてもその頃の私は傷心で、暗くて切なくて辛くて、
手元のわずかなお金を頼りに途方に暮れながらも、
せっせと糊口をしのぐために
教育テレビの音楽人形劇やマンカの原作を書いて
明日のことなど、考える余裕もなく、命がけの日々。。。
せめて自宅では穏やかな日々を送りたい心境なのに
大家さんの飼っている
犬(パピヨン)のうるさいこと、うるさいこと……。
それにそれに
徹夜が続き、布団を二日続けて干していたら、犬と大家さんが勝手に部屋に入って来て
「あら、生きてらしたの? てっきり亡くなってるかと……」と毒づかれた。。
部屋を出て行く時と、帰ってきた時に必ず階段で会う……というのも変だった。
ある日のこと、ちょっとヤバいお客さんを招き入れた。ヒソヒソ話しているつもりが
二階の私の部屋で話している内容の資料(新聞の切り抜き)が、
大家さんの手によってポストに投げ込まれていたこともあった。
絶対、チェックしているのに違いない。
なんでこんな所に来てしまったのか……と後悔の日々。
他の部屋を探しに出たりもして。
でも、なぜかその後6年もお世話に……。
きっかけは、コンビニが舞台の昼帯ドラマをいきなり40話書かなければならなくて、パニクってた時。
住み始めて三ヶ月が過ぎた頃。
ああたんは、そんなに仲良くない私の手をひっぱり、仲良しの美容院のママに、引き合わせ、コンビニの店主を紹介させ、取材を強引に取り付けてくれた。
その後も、「イっちゃってるコンビニ」と私が呼んでいたすべての商品が7割引きとか、8割引きの店にも連れてくれ、「この人のことなんとかしてあげて~」と頼んでくれた。
おかげでコンビニの裏側をねちっこく取材できたし、美容院のママの周囲に集うおばさんや、おばあさん達とも仲良くなり、みんなが観たい話ってこういうものなんだ……ということが肌でわかった。
それからなんとなく打ち解けて話すようになり、たまには息子さんと二人暮らしのああたんの部屋にも呼んでもらってお茶をすする日々……になった。
でもあの頃は、ああたんのことはちっとも判っていなかった。
今日、大阪の枚方市の有岡利幸先生(『松と日本人』という本の著者・私は編集)から、お孫さんと採って下さった土筆と芹が送られてきたので、御礼の電話をした。
つい先日、杉並区中央図書館で先生の書かれた『里山』を拝読したばかりだったので、その感想などを少し。。そして近況。
こうして長いお付き合いができるのは幸せなことだ。
人文書院の編集部で初めてお会いしてから、もう17年が経っている……。
突然届いた春の香りがあまりに嬉しくて、
ああたんにおすそわけを……とものすごーーく久しぶりに電話をした。
「まあ、ツクシにセリ? いいわねえ……でも今、神経痛で寝ているの……」
「じゃ、ポストに入れておきますから。あ、カレー食べます?」
「雨が降っているから悪いわ」
「いいんです。あ、ポークカレー作ったの、持っていきますから」
ああたんの家に向かうのは久しぶりだった。わずかな距離だけど、雨に濡れて走るのも爽快な気もしたし、自縄自縛の私の日常を振り払いたかった……。
実はちょっと哀しいことがあって、ああたんに無性に会いたかった。
神経痛……というので、
湿布薬と長い靴下、それから身体を温める入浴剤と、野菜ジュースと、袋詰めのおでんなど、
すぐに食べられるものを少しばかり、
無印良品の紙袋にバババッと入れ、ああたんに手紙を書いていると
電話のベルが鳴った。
ああたんだった……。
「よしださん、どうしたの? わたくし、道に出てずっと待ってるのに、いらっしゃらないからなにかあったかと思って……」
えっ? 家で寝てるんじゃなかったっけ……? ちょっとボケ入った? まあ、いいか、ああたんだし……。
「すぐ、行きます!」
電話を切り、慌てて、無印の紙袋を掴んでジャンパーを羽織り、錆びた自転車をぶっ飛ばす。
雨はもう上がっていた。
ああたんは家からずっと離れた道で私のことを待っていた。
もう夜の8時前で真っ暗だったけれど、ああたんの輪郭はすぐにわかった。
愛する人のカタチはどうして遠目からでも判るんだろう……。
愛が溢れてきて仕方ない……。
「ああたん……」
ああたんというのは、「お母ちゃん」という意味だ。私の中にある言葉だけれど。
ああたんは、花冷えで寒いのに、私の好きなJALの機内食カップ麺の「うどんですかい」が沢山入った紙袋を握りしめて。。。
ああたん、ニットの帽子とフリースのヤッケがちょっとイカしていた。
「寝てなくていいんですか?」ああたんの肩は丸くて温かい。
「本田さんの奥さんがね……今、そこにいらしたから……」
もちろん、どこにも誰もいない。
ああたんの手を取り、ああたんちに向かう。
懐かしいわが家だ。
上がっていけというああたんの言葉に甘えて、ちょっとだけお邪魔することに。
うるさい犬も健在で、いつまでたっても私のことは好きになれない様子。
「妬いているのよ」
ああたんは、わざと私の膝を撫でて「あつこさんはいい子、いい子」と犬の関心を誘う。
おかげで犬に何度も何度も前足で膝を引っ掻かれた。
哀しかったことは言えなかった……。
でも、ああたんが昔行った旅行の写真を沢山見せて貰って、気持ちがなごんだ。。。
「人の写真なんか見てもおもしろくもなんともないでしょ」
そんなことはなかった。
アルバムの中の60代のああたんは、今より少しふっくらしていて、お茶目だった。
「私は仕事ばかりしていて、ほとんど旅行なんてしてないんです……」
なんて、言った私。ここしばらく、本当にヒッキー(引き籠もり)状態だったから。
でも、ああたんのアルバムに出てくる所は、馬籠、越前海岸、彦根城、南禅寺、大原、永平寺、上高地……なじみのある場所ばかりだった。懐かしい思い出が一気に噴出してきた。
中でも大原の道標(左京区 大原)の写真には吸い寄せられた。
この道は、原付でなんどもなんども通った道だ。
真冬の凍てつく道をこけながら、全速力で比叡山に向かって走ったこともある。
ああたんとのこういう、なんでもない時間が私にどれだけ実りをもたらせてくれたことか。。。
ああたんは、一人でバスツアーに参加してこれらの土地を廻ったという。
行程のコピーや、料理屋の箸袋、リーフレットも挟み込まれていたが、なんといっても傑作はああたんが写真の横に書いた文句。バスツアーで知り合った人達の寸評や、名所への文句がイカしている。
たとえば「重役タイプの人・怖そう」(恰幅のいいメガネの女性)とか
「咲いているって嘘ばかり。梅なんてどこにも咲いてない」(水戸・偕楽園)
なんだか「くすっ」と笑ってしまう。
アルバムの間には、明治座のチラシや古い新聞の番組欄の切り抜きが無造作に挟まれていた……。
ああたんはある男性の役者さんのディープなファンで、その人のファンの集いには必ず出掛け、バザーで着用済みの洋服を沢山買っていた。
その一着を頂いたことがあり、実は、その方とお仕事をしたことも……。
そっか、ああたんが縁を結んでくれたのか。。。
納得できた。
そっか……。
ああたんは「息子が息子が」と息子さんのことをよく口にするが、実は本当の息子さんではない。弟さんの子供だという。
「私が死んだら、なにもかもなくなるの……よかったらお持ちにならない?」
と大原の写真をくれようとしたが、「大切な思い出なんですから、取っておいてください。また見に来ます……」と辞退した。
今日は、ああたんが見つめてきたものと私が見つめていたものが、リンクしていたのだとわかってよかった。
名残惜しかったけれど、ああたんの神経痛が心配なので早々に帰ることに。。。
帰り際。「太秦の撮影所で買ったの。かけてみて」と埃まみれのサングラスを手渡してくれた。太秦の撮影所の近くに住んでいことをああたんは知らない。
帰ってきて鏡に向かってかけてみたら、CCBみたいでおかしかった。
80年代を象徴するようなトロピカルオレンジにラメの縁に、ミラーのグラス。。。
「あっ、これ……」
それは私が初めて田舎から京都市内に出てきた時に、隣の部屋のお姉さんが映画村で売っていたものだった……。
お姉さんの手引きで、タダで映画村に入れて貰い、撮影をガラス越しに熱い眼差しで見ていたあの頃……。
ついこのあいだのような気もするが、ずっと前のような気もして。。。
不思議な人だ。ああたんは。
帰ってきて鍋で湯を沸かし、「うどんですかい」をかきこんだ。
涙が滲みそうになったのはなぜだ……?!