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5月14日田口勝彦監督!!

5月12日に元東映の田口勝彦監督の奥様から、監督が4月27日に89歳で永眠されたとのハガキが来て以来、丸二日間、茫然自失となっていました。こんなに打撃を受けたのは生まれて初めてです。2月に二度ばかりご連絡した際にはお元気なご様子だったのに……。本当に頭の中が真っ白です。以下、乱文になりますが、田口勝彦監督への追悼を込めて書きます。

 

田口監督は、「仮面ライダー」シリーズや「超人バロム・1」の監督や脚本の他、「秘密戦隊ゴレンジャー」や「超電磁マシーン・ボルテスV」の監督等々、数多くの優れた作品を世に送り出してこられた方です。斬新なトレーラーが話題を読んでいる「超電磁マシーン・ボルテスV」がフィリピンで実写リメイクされるニュースは、記憶に新しいと思いますが、田口監督が関わってこられた作品は、世代や国内外を問わず、愛され続けています。そして私にとっては本当に特別な恩師でした。幸せではなかった子ども時代、「愛と正義と勇気」を軸にした人間ドラマが展開される田口作品に、どれほど救われてきたことでしょう。まさか30歳を過ぎ、大人になってから監督と出会えるとは思いもよらなかったことです。

 

【ここからは、まったく、私の個人的な思い出語りとなりますが、よろしければお付き合い下さい。<m(__)m>】

監督との出会いは、2000年11月3日。超人バロム・1に出演されていた高野浩幸さんを囲む会をした時に、脚本家の石森史郎先生と、石森先生の塾生のみなさんからご紹介されたのです。その頃、私は橋田賞新人脚本賞佳作と大伴昌司賞ノミネート賞を受賞し、脚本修行をする間もなく、すぐにTBS系列(CBC)のドラマ30『コンビにまりあ』の脚本(30分×60回)の仕事に入っていました。理由あって、それまでの暮らしを捨て、筆一本で一人で生計を立てていかなければならず、このチャンスを活かさない限り、次はないと相当焦っていました。撮影に入る時期も決まっていて、作劇法を勉強している時間などなく、かなり焦りましたが、そんな時、厳しく、優しく、ピンポイントで作劇の指導をして下さったのが田口監督でした。

約半年間、仕事に専念し、荻窪の狭い部屋に引きこもり、二千枚以上の原稿を書き上げた時、友だちは疎遠になり、誰も周りに人がいない時に、新宿のとんかつ屋和幸で祝杯を上げて下さったのも、田口勝彦監督です。(写真は田口勝彦監督撮影)私が御礼にご馳走させて頂くとお伝えしたら、お金のかからない和幸をご指定されたのです。

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2001年3月11日には書き上げた仕事について、「貴重な財産を作った」とメールを下さり、泣けて泣けて仕方がありませんでした。同年、5月16日には、三百人劇場でやっていた「沢島忠の世界」にご案内下さいました。沢島忠監督は、田口監督によると、シナリオの書き方を教えてくれた方だということで、三百人劇場に来場されていた沢島忠監督ゆかりの皆様にご紹介頂いた後、『人生劇場飛車角』を観て、すぐに同作の構成について、巣鴨のジョナサンでレクチャーして下さいました。

映画を観た後、すぐにというところがミソで、ドンくさい私でもさすがに脳裏に画が焼き付いているので、ビンビンと響きました。キャラクターの立て方、主役の引き立て方、シーンを効果的に見せる構図の作り方等々、今から思うと、後に役に立つことばかり。こんな出来の悪い生徒で申し訳ないのですが、田口監督は素晴らしい先生でした。(ここは今や、大好きな打ち合わせの場となっています)

 

まるで備忘録のようになってしまいました。思い出が次から次へと溢れんばかりに湧き出てきて、止まりません……。

 

その後も、二十年に渡り、お付き合いを重ねて下さり、ドラマや映画の脚本の仕事はもちろん、絵本の仕事も全部、しっかりと読んで頂き、細密な分析や励まし、時にお叱りの言葉と共に、感想を書いて下さいました。波もあり、孤独になりがちな仕事の中で、正対して下さる先達の存在に、どれだけ心が救われたかわかりません。不幸でいると、物語のタネはたくさん貯まりますが、書き続けるには、ガソリンとなるものが必要です。自分や、自分の活動が誰かに認められ、書くことに専念できる安心感。それを田口監督は、ご自分も作品を作り、走りながら、大勢の人々に与えてこられたのでしょう。私は、他の優秀な方々には到底及びませんが、田口監督の後ろを歩く者の一人として、これからも心を濁らせることなく、朗々とした気持ちで書いていきたいと思います。

以下は、田口監督と出会ってまもなく頂いた言葉です。

「いろいろな人との出会いが自分の樹を大きく育てる栄養になります。この意味から信頼する人との出会いを大事にして下さい」

 

そして、こちらは、2000年11月3日。出会ったその夜に頂いたメールです。(原文ママ)

タイトル【新しい友よ】

「人生の中では、人は多くの友人と触れ逢い、学び、失望しながら、成長していくものです。

 書いて、書いて、書きまくって下さい」

 

大好きな田口勝彦監督! 今までありがとうございました!

監督との出会いは人生の宝でした。

さびしくてたまりませんが、私、がんばって書いていきます!!

 

 

みなさんへ

田口勝彦監督は、脚本家でもあり、田口勝彦名義の他にも田口章一、山崎久名義で数多くの脚本も書かれています。

移動中の飛行機の中でも、絵コンテを切っておられたそうです。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%8B%9D%E5%BD%A6_(%E7%9B%A3%E7%9D%A3)#%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%8B%9D%E5%BD%A6%E5%90%8D%E7%BE%A9

 

 また、2018年11月15日発行の『映画論叢』49(国書刊行会)

「東映東京撮影所で学んだこと 田口勝彦監督が語る夢の工場?」では、夢を抱いて岡山から上京されたこと、助監督時代のことなどを語っておられます。

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カメラアングル、絵コンテについての記述が非常に興味深いです。

できれば続編で、脚本家、監督時代の話をもっと読みたかったです。

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田口監督とバロムクロス!(2018年1月東久留米駅前の中華料理店で田口監督のお誕生日会をした際)

 

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