12月26日お別れの日
11時から青山葬儀所で宮川一郎先生のご葬儀に伺う。
哀しい 哀しい お別れの日。
この日は、たった一人でお別れに行こうと決めた。
先生と出会った時も、たった一人で橋田賞パーティに行った……。
その年はありとあらゆるコンクールに挑戦していて、
そのうちの一本の脚本が佳作に入ったのだった。
しかし、あまりに華やかな場所で、どこにも居場所がなくて、
そうっと帰ろうかなあと思った矢先、
「おう、あんた……」と呼び止められ、振り向いたら、
そこにいらしたのが、宮川先生だった。
先生は審査員をされていたのだ。
25年もの間、家族をほったらかしにして、死体(行き倒れ)で帰って来たお父さんを
家族がどう受け止めるか……そんな話(一時間もの)を書いたのだけれど、
出てくる人達以上に、シビアな状況にあった私が
命懸けで書いたのが宮川先生には、伝わっていたようで
「あれは、なかなかいいから、すぐに二時間に直して持って来なさい」
と言われたのを真に受けて、二晩徹夜で直して倍の分量にし、
翌日、舞台の大阪まで夜行バスで行って、
シーンごとに舞台にした場所の写真を撮り、
それをベタベタ直した台本に貼り付けた。
先生の連絡先は知らないから、
手がかりもないのに、必死であちこちに問い合わせ、
先生のご住所を調べて、ご自宅のある下高井戸まで
持って行ったのが、なれそめである……。
1999年5月のこと。
もちろん、ご多忙な先生のこと、すぐには読んで頂けなかったけれど
今から思うとご迷惑だったと思うが、
毎日毎日、電話をかけて「読んで頂けましたか?」とご連絡をしたら、
ある日、下高井戸のイタリアンレストランに呼び出され、
ピリピリ緊張して待っていたら、
きっと大家だから凄い車でいらっしゃるんだろうなあ……と思っていたら、
そば屋の出前の人が使うような、黒いゴツゴツした自転車に跨がり、
先生がやっていらした……。
先生は、仏頂面でエスプレッソをグビッと一口で飲まれると、
直しの寸評ではなく、昼帯のドラマを40話、
ものすごい量だけど書かないかとおっしゃった……。
あれからもう9年も経ったのか……。
新東宝時代のお話を聞くのが、楽しみで、
先生とはよく古い映画の話をさせて頂いた。
あの時間は、貴重なものだった。
映画の『山の音』『甘い汗』が好きなんですと言うと、
先生は嬉しそうに笑って、新しいコーヒー豆の缶を開けて下さった。
『ここに泉あり』『もず』『おかあさん』『また逢う日まで』……
水木洋子さんのシナリオについて、神田で長い長い時間お話したのは
ついこの間のことのようで……。
厳かな読経の後、
宮川一郎先生のお葬式にふさわしく、
心に残る立派な弔辞が次々と読まれ、
先生のご交流の広さと深さを改めて痛感した。
多くの人にとって大切な存在だったのだ、先生は。。。
会場には、懐かしい方々や、ずっとお会いできなかった方もいらして
お互い涙を浮かべながら、思い出を少しずつ話した。
こんな哀しい日が来るなんて……。
宮川一郎先生。
優しい時間をありがとうございました。
私は意地ばかり張っていましたが、先生にお会いできて本当に幸せでした。
謹んでご冥福をお祈りしています。
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