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2008年12月

12月26日お別れの日

11時から青山葬儀所で宮川一郎先生のご葬儀に伺う。

哀しい 哀しい お別れの日。

この日は、たった一人でお別れに行こうと決めた。

先生と出会った時も、たった一人で橋田賞パーティに行った……。

その年はありとあらゆるコンクールに挑戦していて、

そのうちの一本の脚本が佳作に入ったのだった。

しかし、あまりに華やかな場所で、どこにも居場所がなくて、

そうっと帰ろうかなあと思った矢先、

「おう、あんた……」と呼び止められ、振り向いたら、

そこにいらしたのが、宮川先生だった。

先生は審査員をされていたのだ。

25年もの間、家族をほったらかしにして、死体(行き倒れ)で帰って来たお父さんを

家族がどう受け止めるか……そんな話(一時間もの)を書いたのだけれど、

出てくる人達以上に、シビアな状況にあった私が

命懸けで書いたのが宮川先生には、伝わっていたようで

「あれは、なかなかいいから、すぐに二時間に直して持って来なさい」

と言われたのを真に受けて、二晩徹夜で直して倍の分量にし、

翌日、舞台の大阪まで夜行バスで行って、

シーンごとに舞台にした場所の写真を撮り、

それをベタベタ直した台本に貼り付けた。

先生の連絡先は知らないから、

手がかりもないのに、必死であちこちに問い合わせ、

先生のご住所を調べて、ご自宅のある下高井戸まで

持って行ったのが、なれそめである……。

1999年5月のこと。

もちろん、ご多忙な先生のこと、すぐには読んで頂けなかったけれど

今から思うとご迷惑だったと思うが、

毎日毎日、電話をかけて「読んで頂けましたか?」とご連絡をしたら、

ある日、下高井戸のイタリアンレストランに呼び出され、

ピリピリ緊張して待っていたら、

きっと大家だから凄い車でいらっしゃるんだろうなあ……と思っていたら、

そば屋の出前の人が使うような、黒いゴツゴツした自転車に跨がり、

先生がやっていらした……。

先生は、仏頂面でエスプレッソをグビッと一口で飲まれると、

直しの寸評ではなく、昼帯のドラマを40話、

ものすごい量だけど書かないかとおっしゃった……。

あれからもう9年も経ったのか……。

新東宝時代のお話を聞くのが、楽しみで、

先生とはよく古い映画の話をさせて頂いた。

あの時間は、貴重なものだった。

映画の『山の音』『甘い汗』が好きなんですと言うと、

先生は嬉しそうに笑って、新しいコーヒー豆の缶を開けて下さった。

『ここに泉あり』『もず』『おかあさん』『また逢う日まで』……

水木洋子さんのシナリオについて、神田で長い長い時間お話したのは

ついこの間のことのようで……。

厳かな読経の後、

宮川一郎先生のお葬式にふさわしく、

心に残る立派な弔辞が次々と読まれ、

先生のご交流の広さと深さを改めて痛感した。

多くの人にとって大切な存在だったのだ、先生は。。。

会場には、懐かしい方々や、ずっとお会いできなかった方もいらして

お互い涙を浮かべながら、思い出を少しずつ話した。

こんな哀しい日が来るなんて……。

宮川一郎先生。

優しい時間をありがとうございました。

私は意地ばかり張っていましたが、先生にお会いできて本当に幸せでした。

謹んでご冥福をお祈りしています。

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12月23日練り練り

NHK名古屋局の黒岩さんから、ご丁寧なお電話を頂く。

中学生日記のメンバーを集めてリハをやってみて、

セリフに微調整が必要になったとのこと。

もう何ヶ月も御一緒しているので、

なんだか言葉を費やさなくても、思いが通じるのが嬉しい。

もちろん、私の口の悪いのがいけないのか、

バチバチしていた時もあったけど、でも、今や黒岩さんとは

’戦友’だと勝手に思っている。。。。

黒岩さんは、アナンウンサー並みのいい声をされているので、

ものすごく通りがいい。

一方、私は、京都のど田舎の言葉を、

無理に標準語にした挙げ句、

滑舌が、かなり悪いので、

何を言ってるのかわかり辛い……と思う。

御迷惑をおかけしたのでは……と内心、ヒヤヒヤしている。。。

本来なら、名古屋に出向いて

最後の打ち合わせをすべきところを

私のスケジュールが物理的に厳しくなってきたので、

電話でのやりとりに変更して下さった。

気持ちのある方だ。

度を越した方向音痴の私が

トイレに行く際に迷わないよう、

曲がり角で待っていて下さったことも……。

(どんなアホライターなんだ、私は!)

今回は、厳しい状況下、

連日、夜通し二人で頭を捻って考え、

携帯やメールでも何度も何度も意見を交換し、

CPやデスクのご意見を参照しつつ、

黒岩さんと練り直して、

書いて書いて書きまくった。

私には見えないところをビシ!バシ!と

黒岩さんが指摘して下さったことも有り難かった。

こんなにやったのは、久しぶりだ。(ほんとにほんとに)

緻密な作業は嫌いではないが、黒岩さんもよく付き合って下さった。(大感謝!)

出来上がった台本は、これから撮影に入る。

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12月22日必要なものとそうでないもの

有斐閣の奥村邦男さんから、ラフカディオ・ハーンの『読書論』が届いた。

ずっと読みたいと思っていたので、願ってもないことだった。

精読した。

そうでないとなにが書かれているのかわからない。

必要であるものをいかにチョイスするか、

心に残るためには、吸収する方だって真剣でないとだめだ。

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12月21日回転する時間

なぜこの間、内藤監督と『時の娘』(映画)の話をしなかったんだろう……と

めっちゃくちゃ後悔していたら、

内藤誠監督から『HB』2008年春号が届いた。

興味深い内藤監督の特集が組まれている。

そのタイトルも、なかなかイカしていて、

『偏屈系映画監督・内藤誠』!

同冊子はジュンク堂や、東京堂書店でしか入手できなくて、

しかも、この号は重版がかかったとか。すごい!!!

内藤監督の博識と高邁な精神(スピリット)に、ビリッときた!

冨永昌敬監督が「恩師」内藤誠監督のことを

「妖精のようなお方」と書いておられるが、まさにその通り!

なんだか、スカッとした……。

慌てて、内藤監督にお礼を書く。

ほんとは、超ノリノリの文体で書きたいところだが、

ぐっとこらえて、そこは、きちんと書いた(つもり……)。

監督の仕事の幅は広く『へボン博士のカクテルパーティ』や

イアン・マッカーサーの『快楽亭ブラック』の翻訳、

さらには、サローヤンの秀作も翻訳されているが、

『ママ・アイラブユー』などは、なんとなんと

『Gメン’75』の演出をされている間の俳優待ちの時間に

翻訳されていたとか……。

うーん……凄すぎる!

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12月19日なにがなにしてなんとやら……!

朝からずーーっと仕事で、ぐったりしていたら

有斐閣の奥村さんがラフカディオ・ハーンの「読書論」を送って下さるという。

うっそー! 嬉しい! 読みたかったんですよ、ほんとにほんとに。。。

ぐったりしてる場合じゃないぞ……!と起き上がり、

顔色の悪い顔に化粧をして、ワンピースに着替えて、シナリオ作協の忘年会へ。

会場では、桂千穂先生と宮川一郎先生のお話をする。

話をする……というより、言葉にならなかった。

でも、今日桂先生とお会いして、

本当の哀しみをやっと打ち明けられた気がした……。

宴もたけなわ、とかなんとかいいつつ、

私は会場の松本楼のカレーをパクついていたのだけれど

桂先生と『俗物図鑑』の話になり、私が初デートで観た映画が、

まさに本作なのですよ、でも、そいつには即、振られましたけど……

という話をしたら、

なんとなんと内藤誠監督を御紹介下さった。

「うそっ!!!あ~もう、どして、『不良番長』のビデオ持ってこなかったんだ~?!」

思わず、頭を抱えて叫んでしまいたくなるくらい感激!!!

そのあとは、もう、コーフン気味に話して話して話しまくった!

話している間、頭の中では、ヒカシューの音楽(俗物図鑑)がかかり、

不良番長の梅宮辰夫さんの歌声が響き、宮内洋さんの「V3~!」の声がこだまし、

Gメン’75のテーマと大空港のテーマと腐食列島のテーマが流れた。

そうあの頃、キッチュ、スラップスティック……

そんな言葉に胸を焦がしていた私には憧れの存在。

恋愛よりも、『俗物図鑑』を取った私。

ていうか、本作をデートでセレクトする女に

ビビッたみたいで逃げられた……というのが真実。

あれは、その後の人生を象徴する出来事だった。

いや、むしろ、『俗物図鑑』をわからない男に用はない……。

安いヒューマニズムに酔っている輩は、必ず裏切る!

ヒールの中にこそ、ほんとがある。

そんなことをマジで思ってる四十路だけど、文句ある?

内藤監督は

「梅毒病みの女医の描き方がすごくよかったです!」と

バカな発言を許して下さった!

私のデビュー作の昼帯は、

川島雄三さんの『貸間あり』へのオマージュです……と

恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言ってしまうところが

私のアホなところだが、

そんなことをもスラスラと言わせてしまう

そんな磁力がある方だった……。

うわーん、桂先生、ありがとう!

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12月17日懐かしい声

宮川先生が亡くなり、哀しみの余り眠れず、

頂いた舞台の台本や、テレビの脚本を読みつつ

17日の昼すぎまで、茫然と椅子に坐っていたら

自宅の電話のベルが鳴った!

「もしもし、吉田さん?」

懐かしい声!

その声の主は、有斐閣京都支店でお世話になった奥村邦男さん。

なんとなんと二十数年ぶり!

奥村さんは、立命館の大先輩にあたる方で、

当時、京都の編集部で御活躍され

素晴らしい本を次々と作っておられた。

高校の三年の卒業式の日を待たず上京し、

18歳から働きながら、夜、大学で勉強していた私は

いきなり、専門的な用語の溢れた原稿を前にして

いっぱいいっぱいだったせいもあるけれど

将来への不安と、家の事情で(父親がロクデナシ?!)

進学が思い通りにできなかった日々のやるせなさに

打ちひしがれ、弱い気持ちをどうすることもできずに、迷走していた。

そんな私にピシッと注意を下さったのが奥村さんだ。

その厳しい言葉にビビったことも……!

私は当時、絶対嫌われている……と思っていたくらいだ。

しかし、勤務の最後の日には、選りすぐりの良書をダンボールに二箱も

自宅まで届けて下さった。

本当は、有斐閣に居た時も、その後も

沢山お話したいことがあったが、

自分のやっていることにまったく自信が持てず、

ご連絡をすることができなかったのだ。

とても話したい人だった。

今も、話したい人ほど避けてしまう習性が私にはある……。

同じ有斐閣の吉岡さんが、

奥村さんに連絡先を教えて下さったようで

ああ、ほんとに有り難い……!

奥村さんとは久しぶりに、対話の話になり、弁証法の話になり、

ベクトルの方向の話になり、

奥村さんの口から次から次へと出てくる、冴えたキーワードが

私の餓えた魂に響いた。

知の技術。それを知り尽くした人の言葉に濁りはなく、

会話の純度が心地良いテンポと共に保たれる。

『偶然と必然』(有斐閣)という奥村さんの編集された本があるのだが、

それは今も私のバイブル。

まさか、こんな日に奥村さんから連絡が来るとは思ってもみなかった。

偶然を必然に組み込むこと!

すぐにでも京都に飛んでいきたくなった……。

夜。

吉岡さんに報告するために

ご自宅にお電話をしたら

なんとなんと

あの苦み走った一匹狼風のダンナ様が電話に出られた!

懐かしい日々が、わあっと甦ってきた。

吉岡さんの子供さん達の家庭教師をしたこと、

夜、ごはんを御馳走になり、温かい気持ちを胸に、

吉岡さんの家を出て、島原の商店街を歩いたこと……。

と、同時に、京都に居た時に

大映通りの道端に500円で売っていた撮影済みの台本を買って、

時間を見つけては、せっせと読んでいたことを思い出した。

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12月16日哀しいバースデー

宮川一郎先生他界のニュースが入ってきた。

享年83歳。

12日(金)の23時56分に急性心不全でお亡くなりになったという。

先生のご意志で、すでに近親の方々による密葬は済んでいた。

今日は私の誕生日……だというのに、哀しい知らせ。

先週の土曜日、いつにもまして、

無性に先生に会いたくなったのは、

こういうことだったのだろうか?

どんな時でも味方になって、大切にして下さった先生。

暴言夫と別居して、お金も無く、体力も限界、後は首を吊るしかない……

という、どん底の時に救いの手をさしのべて下さった先生。

ギリギリの状況を人に見せたくない私は、誰の前でもいきがっていたけれど

先生の前では、赤ん坊のように甘えた。

初めて神田の仕事場へ呼んで下さる時にも

方向音痴な私のために丁寧な地図を書いて下さった。

その地図はずっとシステム手帳にお守りのように挟んである。

お酒の飲めない私をよく寿司屋に誘って下さって、

「あつこは飲まなくても、酔っぱらいみたいなことを言うからいいんだよ!」

と一切、酌などもさせなかった。

いつも毅然とされていた先生は、もういらっしゃらない……。

毎年、11月18日のお誕生日や暮れには、

先生のお好きな蘭をお送りしていたのだが、

蘭の花が咲くと、「咲いたよ」と、ちゃんと写真を見せて下さった。

神田の仕事場で、辛い話を聞いてもらい、何度泣いたことか。

理不尽な事柄に対する正鵠を射た指摘に、

どれだけ溜飲を下げたことか。

どんな時も真実のみを見つめ続けていた先生。

とびきりシャイで侠気のある先生。

あんなに大事にして頂いたのに、なにもお返しすることができなかった私……。

哀しみが癒えるには相当の時間がかかりそうで……。

日本橋の三越劇場、八王子の車人形、明治座……公演先から

いきなり電話を頂いて、「すぐおいで!席を取ってあるから」と言われ

化粧もせず、普段着で駆けつけると、

そこに先生の姿はなく、

第一幕が始まり、暗転になってから、すっと隣に坐られたことも……。

あれは、向田邦子小劇場の時だったか。

いつものように、暗転と同時に坐られた先生の時計のアラームが

鳴り出したことがあり、慌てて止められたのがおかしかった。

作者の時計が鳴るなんて……!

2006年の新年明け早々、映画の企画の打ち合わせに向かう途中、

先生と木枯らし吹きすさぶ池袋の町を歩いた。

小柄な先生なのに、風が当たらないようにと先を歩いて下さった。

あんな優しい先生は、もういない。。。。

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12月14日原点回帰

夜。

宮川一郎先生が書かれた『忠臣蔵 音無しの剣』を観る。

田村正和さんの主演。

当たり前のことだけれど、あまりに出来上がり良くて、驚く。

ピンと張った構成、柔らかい男と女の気持ちのやりとり、

そして凛々と生きていくことの凄味を感じる話。

師の作品は、可能な限りほとんど観ているが、

今回は特に素晴らしい。

オンエア終了後、もう一度観たくなり、

ビデオに録画をしていたので、

一から観た。

宮川先生には沢山のことを教えて頂いたけれど

作品を観せて頂くことが、一番の勉強法だった。

拙いながらも昂奮気味に番組の感想を書き、

脚本をぜひ見せて下さいね……というFAXを送らせて頂いた……。

(注・しかし、この時、宮川一郎先生はすでに他界されていたのです……)

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12月13日ひたむきな顔

丸善本店の篠原勝之さん(クマさん)の『走れUMI』(講談社)

のイベントにお邪魔する。

『走れUMI』は、以前ここにも書いたけれど、

潔いまでにみずみずしい筆致で

少年のひと夏の冒険を描いた傑作児童小説!

らくがきイベントでは

篠原勝之さんが描いたアートな下絵に、

子供たちがどんどん色を重ねていく……。

みんなでひとつの絵を仕上げるのだ。

魅力的な本がずらりと並ぶ書棚の隙間の空間が

あっという間にアートの源泉に変わっていく……。

ひたむきなその顔、顔、顔……。

みんなにチューしてあげたいくらいかわいい。

(って、実際やったら、びっくりされるだろーけど!)

私もクマさんにサインを頂いてしまった。

講談社の引地さん、児童局次長で児童図書第一出版部の部長の阿部さん、

副部長の山室さん、そして西本鶏介先生がいらしたので

阿部さんと西本先生と共に上の喫茶へ……。

さすがに緊張して、固くなった私……。

しかし、話を聞いているうちに、お二人が”本音の人”だとわかり、

つい大声でわーっとしゃべってしまう。。。

なにか場違いな感じもしたけれど、

本当に、つい引き込まれて話してしまったのだ。

これはまったく本能としかいいようがない。

火の鳥伝記文庫の『石川啄木』が西本先生の作であり、

子ども向けなのに、体裁を整えることだけでなく

人間味溢れる啄木を描いていることに

感激しているんです……という話をしてしまう。

でも、それは本当。

借金を重ね、女にだらしなく、プライドだけは超一流、

たいした小説は残していないが、

詠んだ歌には鮮烈な生活が見える。

子供の頃に読んだ時、「人間の幸せってなんだろう?」

と深く考えさせられた一冊でもある。

こんな風に啄木の生涯をえぐりとる手腕はまさに天才的!

とそんな話をさせて頂いた。

サイン会は大盛況!

子供たちの長い長い列が続いた。

イベントの後、中野の居酒屋へ。

クマさん、西本先生、そして引地さんと御一緒して

相当密度の濃い話になり、皆さんにさかんにハッパをかけられ

一日のうちに感じることを、そのまま行動に移すことの大切さを

思い出した……。

なにかに縛られていては、なにも産み出せない!!!

タイトロープをテメェで巻きつけるな!ってことだ。

そして

命を賭けて愛せる相手と向き合え……!ということか。

帰りの電車で、西本先生から、温かい言葉を頂く。

まるで、西本先生の作品の世界のように、慈しみに満ちた言葉だった。

20代半ば、託児所で読み聞かせをしていたのは、

幼い子供達に向けて読んだつもりが、

実は、ひたむきに生きたいと願う自分のために

音読したのかもしれない。

帰ってきたらNHKの黒岩さんから留守電が入っていた。

直しの相談。

黒岩さんは少し風邪気味だったので心配だ。

そろそろ撮影も近づいている……。

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12月12日ありがたい~っ!!!

う~ん、連日深夜に及ぶシナリオの直しでロクにごはんも食べず、

ヘロヘロになっていたら

有斐閣の吉岡育子さんからなんとなんと『肉』が届いた~。

わーーーい!!

しかも、かなりの高級牛肉……! ええっ、いいの、こんなに……!!!

入稿を終え、わーいわーいと

早速電話をしてお礼を言う。

「いやあ、こんな高級な肉、見たことないですわ~。

ひと足お先に目の正月させてもらいましたわ~」

「あんたうまいこと言うなあ。肉、嫌いと違ごた?」

「いえいえ、前はあんまり食べへんかったんですけど、

血管太うせなあかんと思うて、最近は食べてるんですわ」

と応えたら、

「あれ、逆に血管詰まって狭なるんとちゃうの?」

と吉岡さんに大笑いされた。

たしか肉を食べると血管が鍛えられるんじゃなかったっけ?

しかし、

20年の時を経ても不変の会話のテンポが嬉しい!

どうやら

ご主人(一匹狼風の苦み走ったイイ男!)のお知り合いに

良い肉が入ったら送ってくれるように、頼んで下さっていたようで

めったに手に入らないシロモノらしい。。。(うれし~い!!)

肉の味のわからない私なんかにゃもったいないくらいの逸品!!!

だとか……。

ご近所に肉好きがいればすき焼きしたのに~。

お世話になった吉岡さんのご家族や、有斐閣の皆さんの近況を聞き、

京都に帰りたくなった。

昼間食べた鍋焼きうどんの汁があまりにひどかったせいもある……。

東京に来てから、流転&忙殺で

豊かな気持ちになれなかったせいもあるが……。

そしてそしてさらに

サダちゃん(77)が、おかきを送ってくれた。

サダちゃんは、

「負け犬になるな、勝ち馬に乗れ!」

とか

「世界不況急がば廻れだど」

というような標語を送ってくれるので、いつも冷蔵庫に貼ってある。

いっとき、小泉政権のことばかり話していたので

麻生総理の話に行くかと思いきや、

最近は、サブプライムローン問題から発する世界的不況がテーマらしくて

「百年に一度の不況だよ。心せよ」

と警鐘を鳴らし続けてもくれて、有り難い存在だ。

色気の無い私に、教習所時代(サダちゃんは元人気教官)に

犬が山から降りてきて、

教習所内をうろつくメス犬を物色しては

せっせとメイクラブに励んでいたから、あんたもがんばれ……!

と励ましてくれたり……。あ、でも、酔っぱらってんのかな?

(BUT すいません、最近スタミナなくて……と言うしかないのよ、とほほ)

そしてそして不思議なことに

サダちゃんのセレクトしたおかきは、

毎回、死ぬほどおいしく、

しかも気取りが無い袋ものばかりだ。

どこで探してくるのかなあ……とリサーチしても

ぜーーーったい、教えてくれない。

西荻の安~いスーパーで一度だけサダちゃんセレクトと同じ

カレーおかきを見つけたことがあるが

それ以降、私の能力では探しきれない……。

ボロッボロに疲れてている時は

特に人の温かさが身に沁みてくるぜ!

吉岡さん、サダちゃんの名前は時々シナリオで使わせてもらってるけど

それは私の最大の愛情表現です。

おかげさまで元気もらいました。

サンキューです!

このところ昼夜問わず、

NHK名古屋局の黒岩さんと電話で

ずーーーーーっとシナリオの

詰めの作業に入っている。

繊細で潔いくらい純粋なハートを持つ黒岩さんとは、

非常にリリカルな話ができて嬉しい……。

こんな私なんかに

なにかと気を遣って下さっているのが、

ひしひしと伝わってきて、うるうる来たりもして

がんばらなきゃなあ~と心の底から思っている。

1月のオンエアまで時間もなくなってきたが、

最後まで粘るぞ!

いい着地点が見つけられそうだ。

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12月5日おしゃべりな唇?!

一睡もせずに、身支度を整えて

吉祥寺に打ち合わせに出かけ、

帰ってきて、鍋焼きうどんでお昼を済ませ、

昨夜から続く中学生日記の脚本の直しの連絡を昼過ぎに受けて、

返事をメールで送信し、

その後、頸椎のリハビリ(机に向かい過ぎ?! 首を週二で吊りに行ってます)

に行き、名刺の手配や、買い物を済ませ

またまた帰ってきて、

名古屋局の黒岩さんと電話で二時間くらい検討し、

その後、晩御飯にステーキとサラダを食べた後、ケーキを食べて

CBCの二村久美子さんと夜中の二時半まで、

「やる気になってやっていかなあかんな!」という互いの決意表明を話す。

色気の無い話。

だが、言っときますが、

にむちんは私と違ってイイ女だ。(ほんとにほんとに!)

ざっと書くとこんな感じだが(現在三時過ぎ)

なにかものすごーーーく最近人と話しているように思う。

引き籠もり系のはずの私、

だが、ほんとは

ただのおしゃべりさん?

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12月3日中野の夜は更け……

仕事を終えて夕方、東阪企画の横山千賀さんと中野で落ち合う。

どこに行こうか……という話になり、「やっぱ味王ですかね~」

ということになり、味王(台湾料理)へ……。

横山さんとは本当に久しぶりに会ったのだが、

積る話も沢山できてよかったし、

メッチャ面白い話をして下さったので

店中に響きわたるくらい大爆笑してしまった!!

それはまた別の機会に……。

途中、何度も何度も店のマスター(台湾の人?!)がやってきて

「コレ、サーピス」とウーロン茶や杏仁豆腐をサービスしてくれるのだが、

体を擦りつけるようにしてくるので、ビミョーな顔をしていると、

横山さんが「『ひさしぶりー!』とかってにこにこ(店に)入っていくからよ」

と苦笑しながら言ってた。

そーいや、阿佐ヶ谷の日昇園(中華料理)でも

「ひさしぶりー!」と手を挙げて入っていってしまうからなのかどーか、

そこんとこはわかんないが、

やたらとサービスしてくれたり、愛想をふりまかれる。。。

味王のマスターは、こちらとしては、注文があるから手を振っているのに

「マスター!」って感じで手を振って貰ったとカンチガイして、

ニコニコして手を振り返してきた……。

ヤバー……。。。。ビミョーな空気を感じる横山さんと私。。。

味王は私が東京に来てすぐ行きつけになった店で

かれこれもう13年くらい通っているのだが、

値段の割に、ものすごくおいしい。

だから、中野と言えば、だいたいここ。

今日は、横山さんと話も弾んで味王も格別おいしく、、

その後に行った横山さんの行きつけのお店でも、

楽しいひとときを過ごした。

おみやげにロイズのチョコチップスまで頂いてしまった!(これがまたゲキウマ!)

すっかりごちそうになってしまったので、

今度は私がぜひごちそうさせて頂きたいと思っている……。

あーおいしいもの食べるのは、いいなあ~。

そして、

朦朧とした頭で歩く

夜中のサンモール商店街、サイコー!!!!

ミッドナイトウォーカー。。。の私でやんす。

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12月1日中学生日記の入稿と困った父の扱い

夏から中学校への取材や、

現役中学生の生の声を沢山聞かせてもらって

プロデューサーの黒岩さんとの検討を重ねていた中学生日記。

ほんとにこの半年は、この仕事のおかげで

思春期の揺れる気持ちを追いかけられて

ある意味、幸せだったかもしれない……。

ずーーーっと十代の人と

伴走していたような感じといいますか……。

ってことで、いろんな思いを込めて書いた初稿、

当初のプロットと大幅にチェンジしたのにも関わらず、

プロデューサーが丁寧に読んでくれたのが嬉しい。

私の方も、今までの失敗から

経験値みたいなところで、

ここで折れたら、作品の胆がなくなる……ということについて

できるだけ主張をするようにしているのだが、

初めて仕事をした方なのに、本当に

よく理解をしてもらえた。(感謝!)

複眼で見て下さる相手と仕事をするのは、いいかも?!

入稿後、

HKCから連絡があり、講談社の皆さんと方南町で忘年会をやる話をする。

引地さんから篠原勝之さんの『走れUMI』のサイン会のご案内も来ていた。

あの本は本当に傑作なので、

行く前にもう一度読もうと思っている。

夜。

大戸屋(私、好きなんですよ,大戸屋さん!)ごはんを食べて

家に戻ったら、

まだ回復していないのに、無理やり退院してきた父から電話が入った。

幼い頃からことある度に、厳しい確執を繰り返してきた父と娘だが、

病んでいる人にきつく当たることはできない。

送ってあげたお見舞いがとてつもなく嬉しかったらしく

父は何度も礼を言った……。

そんな父は見たことが無い。

涙が出そうになったが、ぐっと堪えて

楽天からミルクバームクーヘンを送ったことを伝える。

「もう、そんなんええで、あっちゃん。お金つかわんとき」

と父が言ったけれど

「もう送ってしもたさかい、甘いもん食べて元気出しぃ」

と励ました。

酒を飲まない代りに

甘い物が大好きな人で、子供の私たちにはくれず、

自分だけ高級なチョコレートを食べたりする人……。

そのせいか、私は今も甘い物がそんなに好きではない。

子供の頃はきっと好きだったんだろうけど、

「好き」と認識してしまうと

貰えないことが哀しくなってしまうから、

意地を張って「嫌い」になったのかもしれない。

ちなみに

父が酒を一滴も飲まないのは、

父の父、私の祖父が大酒飲みで、

”酒”で本当に泣いてきたからだそうだ。

私?

私は、成績がいいのにもかかわらず、

働きながら大学に行かざるを得なくなった時、

クサクサする心を癒すために飲んで飲んで飲みまくり、

ディスコで顔パス飲み放題、カフェ・バー(懐かしい~)でボトル空け、

居酒屋でイッキを重ねた挙げ句、肝臓を悪くしたので、

20代後半からは接待とか仕事以外では飲まない。

ちなみに肝臓は、今は完治している。

当時はアルコールだけじゃなくて

過労で肝臓が悲鳴を上げていたみたいだ。

目下の所、

実家に戻って流行りの農業をやれという父を

どうしたもんかなと、扱いに困っている……。

そんなに急には仲良くなれないよなあ。。。

やっとやっと初稿を入稿した。

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